カラフルxカラフル通信

多様性について考えつつ、思いつくままに書いたりします。多文化共生/ダイバーシティ/LGBT/カルチャー/海外旅行/時事問題等

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前回は東京圏など都市部の住宅価格が高騰していることが少子化にも影響しているのではないか、ということを書きました。

東京が日本の少子化を大きく加速させているという、東京ブラックホール論は以前からしばしば主張されていて、元岩手県知事の増田寛也氏などがその代表格のようです。

これは、人口増は東京が最も多い(※1)のに対して、出生率が最も低い(※2)ことを指します。つまり転入により多くの若者が東京に集まるのに、出産・育児に不向きな環境なので、地方から人口を吸い寄せるだけの存在となっているのです。(増田氏の主張をちゃんと読んだことがあるわけではないですが)

「出産・育児に不向きな環境」と言っても色々な要因があって、待機児童の問題や労働環境の問題など、複合的な要因があると思いますが、子育てしやすい住宅環境が整っていないことも大きな要因の1つになっていると考えてもいいと思います。



で、この人口ブラックホール問題をどう解決すべきかと言えば、東京一極集中の緩和しかないと思っています。 もともと日本は公的機関、金融、企業本社数、大学など、多くの点で集中しすぎており、満員電車や交通渋滞に見られるような、住宅問題以外の不便さも顕著に見られます。
今回のコロナウイルス騒動でも、人口密集都市は感染症の流行が広がりやすいという結果になっていると思います。

ただ、その集中ぶりが世界一とも言えるメガシティのパワーを生み出し、日本をリードしてきたのも事実。東京都などの自治体は単に機能低下させるのは受け入れがたいかもしれません。 ただ、このままブラックホール現象が続けばいつかは地方からの若い人口の供給も止まり、東京の高齢化が深刻になるでしょう。その時には日本全体では人口ピラミッドが偏りすぎて社会保障や医療介護は崩壊しているに違いありません。

長くなってしまったの強引に結びとしますが、一極集中の緩和と同時に東京圏で実施すべき施策として、保育所の充実などに加えて子育て世代への住宅環境の改善や補助をやってもらえれば、ということを書いて一旦終わりたいと思います。




※1


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2018年の人口増減率を見ると、人口増となったのは7都県。0.5%以上の増は東京都のみで他を圧倒的に引き離している。

※2 都道府県別合計特殊出生率(内閣府による)


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2017年の合計特殊出生率(一人の女性が出産可能とされる15歳から49歳までに産む子供の数の平均)は、全国平均1.43に対して東京都は1.21。

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今回、コロナは特に関係ないのですが、この国の大問題である少子化や人口減少について取り上げてみたいと思います。
難しいことを語れるわけでもないですが、私はいわゆる東京圏に住んで子育てしているので、その実体験というか、体感も含めて書いてみたいと思います。

まず最近特に感じていることから入ってみます。実は最近、家を買おうと思って探しています。そこで全体的な感想として「高すぎる」のです。
もちろん価格についてどう感じるかは人それぞれだと思いますが、ここ数年首都圏の不動産価格が高騰しているのは事実です(※1)。



もちろん、コロナショックによって今後どのような動向になるのかは不透明になってしまいました。間違いなく幾分かは下落するだろうと思います。(マンションと土地を取り合っていたホテル業が大打撃を受けたことや、人件費の上昇も落ち着くことが予想されるため(※2))
ただ、経済の低迷によって住宅を買う側も打撃を受けるのだから総じて購入しやすくなると言えるのかは疑問ですね。なのでコロナショックのことは一旦置いておきます。

さて、住宅価格が高すぎると少子化にどう関係するか、という点ですが、2〜3人以上の子どもを望むカップルがそれに十分な広さの住宅を手に入れられなくなることが考えられます。
近年、東京では都心回帰の流れが起きているそうです(※3)。理由の一つとして東京で共働きするカップルがなるべく通勤時間を少なくしたいという希望があるようですが、駅近物件は特に高騰するため、共働きで2〜3人以上の子どもが欲しければ通勤の不便さと子どもの数を天秤にかけなければならない状況も出てきていることが想像されます。

ちなみに直接は関係ないですが、最近「中古を買ってリフォーム」的な実例集で家族向けのケースを見て参考にすることがあります。掲載されている実例では、明らかに子ども部屋が一部屋しか確保できなさそうな間取りだったりということは非常に多くて、子ども2〜3人のパターンは完全に少数派です。もともと中古リフォームの流行りも、新築が高すぎることの結果とも言えますからね…。

さて、長くなりそうなので続きは次回としたいと思います。

※1※2

日本経済新聞・2019/10/17

03年ごろから都心部のタワーマンションブームが起きて価格が上がり始め、東京五輪の開催が決まった13年から上昇傾向が続く。

東京カンテイ(同・品川)が18年に発表した調査結果によると、各地域の新築マンション価格が年収の何倍かという「年収倍率」が首都圏で約11倍に達した。特に東京都は約13倍と極めて高い水準にある。

五輪開催が決まった13年以降、都内でホテルや公共施設の工事が急増した。さらにホテル用地との競合で都心や駅から近い人気エリアのマンション向け用地の取得が難しくなっている。東京都区部の住宅地地価も大幅に上昇し、高価格帯の物件の発売が増えたことが価格を押し上げた。

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※3

日本経済新聞・2017/10/31

マンションの都心回帰が鮮明だ。居住できる土地(可住地)に占めるマンションの敷地の割合は東京都区部で4.98%と10年間で1.02ポイント上昇し、都心部では9%近くに達する区も出てきた。消費者の「職住近接」志向の高まりで都心部のマンションの人気が高まり、不動産会社の分譲も集中。新築や中古の価格高騰の原因にもなっている。

2020年に入ってから世界中を騒がせている新型コロナウィルス(COVID-19)ですが、日本でも緊急事態宣言が出されましたね。

私も緊急事態宣言が出された地域で生活しています。生活自体は普段と大きく変わった感じもしませんが、仕事は完全に在宅ワークになったし、どこかに遊びに行くこともなくなってしまったので、これが続くとどうなってしまうんだろうという気持ちはありますね。

子どもを預けている保育園は休園等にはなっていませんが、休みの子が増えてきました。自主的なものか保護者の仕事が休みになったのかわかりませんが…。
自治体によっては休園か自粛要請になっているところもあるようなので、私が住んでいる地域でもいずれはそうなるかもしれません。

発信源と言われている中国の武漢市の封鎖が2ヶ月半で解除されたようですが、悪くするとそのくらいの期間は緊急事態宣言の状態が続いてしまうかもしれません。
先が読めないのが辛いところですね。

買い占めの話なども話題になりましたが、マスク以外は概ね問題ない状態です。マスクは元々多少の備蓄があった(花粉症)のでまだそれを3日間使いまわしたりしてなんとか持ってる状態です。使い回すのはよくないんでしょうが、今は保育園の送り迎えでくらいしか使わないので…。

家にいるからブログを書く時間もできるかな、と思ったんですがそうでもないですね。。でも少しずつ復活できるといいなと思いつつ。ということで近々更新します!

11月に入ってだいぶ寒くなってきました。

私は今年でパパ業3年目になります。もともと冬のお風呂の脱衣所が寒いのが超嫌いなのですが、赤ちゃんをお風呂に入れるときに、体を拭いてベビーローションを塗ったりパジャマを脱いだり着せたりで結構時間がかかってしまい、寒くないかと心配でした。ワンオペの場合など特に焦ってしまうこともありますよね。
というか、一連の作業をしている間自分が寒くてしょうがないのが辛かったです(苦笑)

どうやってその寒さを解決したかというと、小型の暖房器具を購入して使いました!もちろん今でも使っていて3年目です。

実際に使っていたのは山善というメーカーの小型セラミックファンヒーターです。


(実際に使っていたのはこれより前のモデルです)

よかった点(メリット)
・比較的安い
・狭い部屋ならすぐ温まる
・小型なので収納が楽
・軽量で移動も楽なので別用途(足が寒いときに使ったり)にも使える
・倒れたり不安定なところに置くと停止する安全機能付き
・火を使わないから中毒や火事の心配がない

物足りない点(デメリット)
・温度調整はできるが、風力調整はできない
 (風力を弱くできないとホコリを巻き上げてしまうかも)
・送風元は熱くなるので、子供が触らないように注意が必要
(すぐに火傷するほどの熱さではないけど、ハイハイする子や1歳頃は要注意)

あと、風呂上がりに直噴射するとかえって寒かったりお肌にも良くないと思うので、赤ちゃんのお風呂上がりに使う場合は脱衣所を温めるように使いましょう。

これ以外にも色々なメーカーが小型のヒーターを出しているので「セラミックヒーター」で検索してみるといいかも。







もう2年経ってしまうと色々忘れてしまうものですが、赤ちゃんをお風呂に入れるのはヒヤヒヤしたり焦ってしまったりでなかなか大変でした。すぐに慣れてしまって気持ち良さそうな赤ちゃんに癒されることも増えると思いますよ!(とは言っても散々泣かれて困ることもありますが、、)。これからチャレンジする新米パパさんは頑張ってくださいね!

存在のない子供たち


レバノンで大規模なデモが起きているというニュースを見てこの映画のことを思い出したので感想交えてエントリー。レバノンは経済的・財政的に困窮しているとのことで、増税などの新たな政策に市民が反発しているとのことです。

この「存在のない子供たち」では、レバノンの首都ベイルートでの貧困世帯や移民の困窮が描かれる社会的メッセージの強い作品です。なので、今回のデモとは関連性の強い作品と言ってもいいと思います。

映画自体は、何と言っても主役の少年ゼインが素晴らしくて、演技はもちろん、キャラクターもとても良かったです。生意気だけど純粋で正義感の強いゼイン。不法滞在のエチオピア人女性ラヒルやその赤ん坊のヨナスとの交流は、暗くなりがちなこの作品の中でも心が澄みきったような気持ちになれました。ゼインに向けるまなざしはとても丁寧で時間もかけています。そう言った主人公に寄りそうような作品づくりがカメラワーク、そして画面からにじみ出ているのが最大のポイントだったと思います。

テーマとして、貧困や児童婚、移民、難民など多岐にわたります。映画の製作にはフランスの企業なども見られますが、監督もロケーションも全てレバノンで、エンドクレジットを見ると政府系機関も見られるので、そういった土壌がレバノンにあるというのは少し驚きでした。世界的に評価が高いナディーン・ラバキー監督は期待の星なので、全面的にバックアップしているのかも。

ただ、そういった諸問題の批判の矛先が「社会」や「大人」には向かっていても、「政策」などに向いていないのは少し気になりました。(これだけ問題が多ければ政策の失敗はあると思う)上記のバックアップなどの諸事情があるのかも、など穿った見方をしたりしつつ…。今作のちょっと気になりポイントですね。

さて、レバノンという国、なかなか日本では馴染みがないかもしれません。中東にある国、ぐらいの認識の人も多いのではないでしょうか?
個人的にも馴染みが薄かったものの、最近気になる国の一つでもあります。地理的にはシリアとイスラエルに挟まれた歴史ある地域で、宗教的にはイスラム教とキリスト教がおおよそ半々、さらにイスラム教はドゥルーズ派、スンニ派、シーア派など、キリスト教はマロン派が最大…と宗教的モザイク国家となっています。

ちなみに、かの有名なカルロス・ゴーン氏はレバノンのマロン派の家系でブラジル出身、レバノンとフランスでも居住経験があり、それぞれの国籍を持っているようです。

ゴーンさんのように海外で暮らすレバノン人も多く、ブラジルやオーストラリア、フランス(=旧宗主国)、湾岸アラブ諸国など世界中にネットワークを持っているとのこと。レバノン移民は歴史も古く、ビジネスや留学など目的も時期などによって多岐にわたるようです。

こんなレポートもネット上で読めました。「レバノン人の越境移動に関する 経験と意識 「新しいフェニキア人」像の再考」

一方でレバノンは1975年〜1990年に内戦を経験し、これによってさらに多くの移民・難民を生み出しました。内戦の原因は主に宗教対立ですが、中東戦争の影響も大きく、シリアやイスラエルなど近隣国の干渉も受けて各派の対立は泥沼化してしまいました。

積極的な移民でゴーン氏などの富豪を生み出した一方で、内戦での破壊によって経済の停滞と貧困に苦しんでいるのですよね…。

内戦終結後のレバノンはシリア・イラン、イスラエルなどの影響に悩まされつつ、努力と工夫によって宗教バランスと平和を維持しているようなので、このまま安定して貧困問題も解決されることを祈りますが、この複雑さを読み解くにはまだ不勉強なので、何か良さそうな読み物があれば読んでみたいと思っているところです。

中途半端ですが、今回は以上です!

キャラメル [DVD]
ナディーン・ラバキー
オンリー・ハーツ
2009-07-24


クロアチア・ボスニア観光旅行の思い出シリーズ最終回です!(2011年の旅行です。念のため)

サラエボ編

サラエボはボスニア・ヘルツェゴビナの首都で、地理的にも国土の中心に近い位置です。歴史的にもサラエボ事件サラエボオリンピックで有名ですね。

もちろん、90年代に勃発したユーゴ内戦(ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争)でも激戦の舞台となり、4年間もの間包囲され砲撃、狙撃されたニュースを覚えている方も多いのではないでしょうか。

直前に観光したモスタルからは再びバス移動になります。バスはなかなかのスピードで飛ばしていました。基本的に山道ですが、前の車をビュンビュン追い抜くので少々恐怖を覚えた記憶が…。

さて、そんなサラエボですが、首都だけに活気があって見所は多いです。ただし、モスタル以上に観光向きではありません。しかも、何度もお伝えしている通り私が旅行したのは2月で、ボスニアは極寒です。モスタルは強風が吹き付けてきましたが、サラエボは滞在した1日半の間一度も晴れず、気温が0℃を上回ることはありませんでした。。

街を見ると観光客と思われる人といえば、西欧方面からきたと思われるスキー客をちらほら見かけました。オリンピックが開催されただけあってスキー場が充実しているのかもしれません。また、日本人はおろか東洋人は1度も見かけませんでした。観光地ではないぶん、特に声をかけられることもないですが、現地の子供たちにはジロジロみられたり笑われたりしました(苦笑)。

ボスニア・ヘルツェゴビナでは「兌換マルク」という通貨を使用します。これは独立紛争後にドイツの支援で経済復興した名残のようです。ちなみにキューバ旅行の際は「兌換ペソ(CUC)」を使いましたが、これは観光客向けの通貨でした。

また、ボスニア・ヘルツェゴビナは今でもEUが治安維持の一部を担っており、街中でもドイツ軍らしき 兵士の姿を見ることができました。

サラエボは約半数の住民がイスラム教徒で、街中ではモスクで礼拝している様子が見れたりします。金髪の青年が、つまりいかにもヨーロッパの見た目の人が礼拝しているのは、先入観を覆してくれるので興味深いものがあります。ただ、ボスニアのイスラム教はかなり世俗的なようで、ヒジャブの女性などは極めて少ないです。おそらく宗教学校の帰りと見られる女子生徒くらいでした。またレストランではお酒の提供もあり、むしろビールは名物のようです。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、サラエボで撮った写真をご紹介します。

サラエボ事件で有名なラテン橋

サラエボ事件で有名なラテン橋。ここでオーストリア皇太子が暗殺され、第一次世界大戦のきっかけに。

サラエボ旧市街地の噴水

旧市街地の噴水。凍ってました。。

旧市街地

旧市街地

オリンピックスタジアム跡

少し足を伸ばしてオリンピックスタジアム跡へ。内戦で墓地が足りなくなり敷地が墓地になっています。墓地の写真を撮るのは躊躇したのでこれだけ。



トンネル博物館

こちらは「トンネル博物館」。内戦時に包囲されたサラエボ市民側が弾薬や物資の調達に利用したトンネルが保存されています。

トンネル博物館内部

トンネル博物館内部

サラエボ空港

サラエボ空港。この旅もおしまいです。


サラエボ市内観光は、旧市街地→オリンピック会場跡地→トンネル博物館という感じで周りました。旧市街は観光客もたくさん(?)いて、お土産なども売っています。有名なお土産は空の薬莢を使ったお土産です。ペンとかあります。内戦で大量の薬莢が街に散乱していたのでそれを名物にしたみたいです♪

オリンピック会場跡地は観光地でもなんでもありませんが、広大な墓地が有名なので見に行きました。現地は誰もいなくて少々怖かったですが、聞いた話通りの状況と広大さに圧倒されてしまいました。途中、ローカルなマーケットを見かけましたが、観光地や中心部のそれと違って非常に雑多な感じで生活必需品などが売られていたので興味深かったです。

トンネル博物館は説明の通りですが、建物が銃弾の跡だらけなことなどはもう慣れっこになってしまいました。サラエボは市街地も建物は銃弾痕だらけなので…ちなみに泊ったホテル(Hotel Central)の窓から見える建物も穴だらけでした。

そんなサラエボですが、市街地は比較的広くて、旧市街地以外でも大きなショッピングモールやホテルなどがあり、活気がありました。治安などが心配、という声もあるかもしれませんが、街は平穏そのもので、銃弾痕さえなければ内戦があったことなど気づかないほどです。

内戦がサラエボ、そしてボスニア、旧ユーゴスラビアに消えない傷を残したのは事実ですが、地下トンネルを築いて包囲に抵抗したタフさや、戦後復興して力強く生活している様を実際に見ることができて少し安心したというか嬉しくも感じました。とっても好きな街になりましたよ。なかなか気軽には行けませんが、ぜひまた訪れたいです。

旅行中読んでいた本をご紹介

この本を事前に購入して旅行中に読んでいました。非常に興味深かったのでご紹介します。



非常に簡単に説明すると、ボスニア紛争時に独立派と反独立側双方が繰り広げたプロパガンダ合戦の様子を記したドキュメントです。欧米、特にアメリカの世論を動かすことを重要視して双方ともアメリカの「PR会社」つまり広告代理店のような存在ですが、企業に依頼して「どちらが悪か」というPR合戦を繰り広げたという実態が取材されています。当時のことを覚えている方ならわかると思いますが、一連の内戦ではセルビア人勢力側が圧倒的な「悪」として認知されました。しかし実態としては双方とも戦争犯罪の応酬があり、戦後に設置された国際戦犯法廷でも双方が裁かれています。もちろん、軍事的に優位だったセルビア人勢力側の方が大規模な破壊や虐殺が多かったのではないかと思いますが、事実以上に圧倒的に善悪が決まってしまったのはこのPRの成果だったという恐ろしい実態です。

それでは、この旅行記もおしまいです。余談ですが、この旅行から帰ってきた1ヶ月後くらいに東日本大震災が発生して旅行の楽しい思い出も吹っ飛んだことをよく覚えています。今となってはこれも思い出と言えるのか…。



サラエボ、希望の街角 [DVD]
ズリンカ・ツヴィテシッチ
アルバトロス
2011-09-02



クロアチア・ボスニア観光旅行の思い出シリーズ!初回のザグレブ編と前回のドゥブロヴニク編はクロアチアでしたが、ついにクロアチアを出てボスニア・ヘルツェゴビナに入ります!今回はクロアチアに近い観光地モスタルを訪れます。(2011年の旅行です!念のため)

モスタル編

モスタルはボスニア・ヘルツェゴビナ南部の都市で、オスマン帝国時代に作られた「スターリ・モスト」という石橋が世界遺産に登録されています。これは色々いわくつきの橋なのですが、後ほど説明します。
ドゥブロヴニクからはバスで3〜4時間の道のりです(もう忘れましたので調べました笑)。夏場などの観光シーズンには、ドゥブロブニクからオプションツアーとして観光客が数多く訪れるそうです。ただし、私が旅行した2月は観光客はまばらでした…!!山に囲まれた地形のせいか強風が吹いて寒かった。。

記憶が定かではないのですが、旅行会社が用意してくれたバスのチケットと乗り方の案内を見てバスターミナルで該当のバスに乗りました。路線バス的なものなので、地元の少年がバスの中で勉強していたりも。
ちなみに、このバス移動の間には、クロアチア→ボスニア→クロアチア→ボスニアと国境をまたぎます。というのも途中にネウムというボスニアの都市があるんです。ボスニア・ヘルツェゴビナは基本的に内陸国ですが、ここが唯一の海岸線なのだそうで、過去に条約などで決まったそうですよ。(→wikipedia
国境を越える時は一応職員?がバスに乗って簡単なパスポートチェックだけやっていました。

そんなこんなで3〜4時間も乗っていた記憶はあまりないのですが、もちろん無事にモスタルに到着しました!

モスタルの街並み。真ん中がスターリ・モスト

モスタルの街並み。真ん中がスターリ・モスト

モスタルの街並み。ネレトヴァ川

同じくモスタルの街並み。ネレトヴァ川。

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スターリ・モストを歩いて渡ります。建物の建て方がすごい。

スターリ・モストにある「DON'T FORGET '93」

スターリ・モストにある「DON'T FORGET '93」

モスタルの旧市街地

モスタルの旧市街地。閑散期なので人はまばら。

モスク

モスク



内戦で破壊されたままの建物

内戦で破壊されたままの建物。看板には「学校」の文字が。

新調された建物の隣は焼け焦げたまま

新調された建物の隣は焼け焦げて大量の銃痕が残ったまま

郷土料理のお店でトルコ風コーヒーをいただく。

郷土料理のお店でトルコ風コーヒーをいただきました


さて、写真を見てお気付きの通り、少なくともこの時点(2011年)では内戦の痕跡が生々しく残っていて衝撃を受けました。内戦終結から約15年が経っていたわけですが、相当な破壊があったことが伺い知れます。

はじめにスターリ・モストを「いわくつき」と言いましたが、この橋は1993年に内戦で破壊され、2004年に再建されています。内戦の象徴でもあり、その後の和平の象徴でもあるわけですね。ちなみに再建の翌年に世界遺産に登録されています。
今では飛び込み大会も有名ですよ。

旧ユーゴの内戦と言えばセルビア人主体のユーゴスラビア連邦とセルビア人民兵勢力が、独立を果たそうとするクロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナを攻撃しているイメージが強いのですが、ここモスタルに関してはクロアチア人とボシュニャク人(イスラム教徒)そしてセルビア人が三つ巴の争いを繰り広げ、泥沼化した地域でした。ガイドブックやwikipedeaなどによると、現在ではセルビア人の多くは街を去り、クロアチア人とボシュニャク人がネレトヴァ川を挟んで分離する形で生活しているそうです。



内戦の話ばかりになってしまいましたが、モスタルは写真の通り風光明媚な街です。旧市街も散策できるし、ケバブやソーセージやコーヒーなどのトルコ風味の強い料理も楽しめます。でも何度も言うように冬はめちゃくちゃ寒いしめちゃくちゃ閑散としています!この旅行で一番閑散期に行くべき街ではないことがわかりました(涙)。

この後、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都、サラエボに移動しますが、内戦時最大の激戦地だったサラエボも内戦の跡が相当に残っていました。ただ、上の写真にあるように放置された廃墟などはもう少なかったので、その点、モスタルを観光したのは貴重な体験でした。
それでは、次回のサラエボ編もお楽しみに!

↓なんと、最新の地球の歩き方「中欧」は表紙がモスタルじゃないか!?




さて、前回はザグレブ編をお伝えしたクロアチア〜ボスニア旅行の思い出ですが、今回はドゥブロヴニク編をお届けします。

ドゥブロヴニク編

ドゥブロヴニクはクロアチアの中では南端に位置し、アドリア海に面した街です。城壁に囲まれた旧市街地はオレンジ色の屋根で統一され、その美しい街並みから「アドリア海の真珠」と呼ばれ、ヨーロッパ各地から観光客が訪れる観光都市であり、世界遺産にも登録されています

ザグレブを含む北部がオーストリアの影響を強く受けているのに比べて、ドゥブロヴニクなどの南部の海岸都市は、イタリアの影響も受けています。特にドゥブロヴニクは歴史的にイタリアの海洋都市と交流が多く、イタリア系の住民が多い時期もあったそうです。

1990年代に起きたユーゴスラビア紛争でセルビアやモンテネグロから砲撃され(1991〜1992)、その傷跡がまだ少しだけ残っていました。

ドゥブロヴニクの美しい街並み

こんな感じの美しい街並み

ドゥブロヴニクの海

海もきれい

城壁から海を望む

城壁から海を望む



砲撃の跡?

戦争で受けた砲撃の跡?(詳細不明です)

ドゥブロヴニクのネコ

道案内してくれたネコ。ドゥブロヴニクにはネコがたくさんいます。

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ドゥブロヴニク旧市街内部

ドゥブロヴニク旧市街内部

スルジ山からの眺め

スルジ山(後述)からの眺め

ヒルトン・インペリアル・ドブロブニク

泊まったホテルはこんな感じ(ヒルトン・インペリアル・ドブロブニク)


さて、この旅行は2011年の2月だったのですが、夏のリゾート地であるドゥブロヴニクは2月は完全に閑散期に当たり、閉店してしまっているお店もあるのでその点ではあまりオススメはしません(笑)。
ただしかなりリーズナブルなので、ヒルトンホテルにも泊まれました(立地がとても良いです!)。あと、夏場はおそらく大変混雑すると思うのですが、一切行列することもなくスムーズに観光できました。



閑散期エピソード
ここでこぼれ話ですが、写真でも紹介した通り、街全体を一望できるスルジ山という小高い山が街の背後にあります。街と山頂をつなぐロープウェイがあったのですが、戦争で破壊されてしまいました。旅行にいく数年前に再建されたというニュースがあったのでぜひ乗ってみようと思い、インフォメーションで聞いてみると「行けば乗れるよ!」とのこと。しかし行ってみると「今は営業してない」と言われてしまいました。そこにいる君たちは一体何の仕事を…。仕方がないのでタクシーで山頂まで行き、優しい運転手さんに写真を撮ってもらったりした次第です。
このロープウェイは現在運休しているという最新の情報もあるのですが、山頂からの眺めは最高なのでオススメです!

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スルジ山山頂のロープウェイ(ケーブルカー)の駅

スルジ山の山頂にある十字架

スルジ山の山頂にある十字架


ドゥブロヴニク旧市街は小さな街ですから、ぜひたっぷり散歩してみてください。修道院や、ヨーロッパ最古の(?)薬局にも行きましたが、狭い路地や城壁歩きがこの街の1番の楽しみだと思います。

では、次回からボスニア・ヘルツェゴビナに入り、モスタル編をお届けします!


久々に海外旅行の記事を書いてみます。

今回はクロアチアボスニア・ヘルツェゴビナを旅行した時のお話です。とは言っても、これはもうかれこれ9年ほど前の話で、詳細には覚えていないことも多いので写真をメインにお伝えしようと思います。今はだいぶ変わっている点もあるかもしれませんが、比較的情報が少ない地域なので旅の参考にでもしてもらえればと思います。

なぜこの2か国を選んだか少しだけ触れると、私の妻がクロアチアのドゥブロヴニクに行ってみたいと言っていたことから始まります。ドゥブロヴニクは世界遺産の街であり、「アドリア海の真珠」とも呼ばれる美しい街として知られています。 ただ、クロアチアはそれほど広い国でもないのでもう1か国選ぼうということになり、スロベニアやギリシャなどが候補に上がりましたが、私が映画を通して気になっているボスニア・ヘルツェゴビナに行くことにしました。

クロアチアやボスニアはユーゴスラビア紛争で激戦の地となり、多くの映画の題材となったり作中に引用されたりして、ヨーロッパの映画に大きな影響を及ぼしました。私がみたのは、「ウェルカム・トゥ・サラエボ」「ブコバルに手紙は届かない」「ノー・マンズ・ランド」「アンダーグラウンド」「ユリシーズの瞳」などなど…。

そんなこんなで美しい街や戦闘の跡が待つこの旅行に出かけることになりました。今回はザグレブ編。
ちなみに飛行機は成田〜ウィーン〜ザグレブでした。

ザグレブ編

ザグレブはクロアチアの首都です。こじんまりとしていますが、整然として美しい街です。歴史的・文化的にはオーストリアの影響が強いらしく、カツレツが名物料理です(美味しかった)。

トラム

トラム

公共機関の建物?

公共機関の建物?詳細不明です。

マーケット

マーケット

旧市街

旧市街



可愛らしいお店

可愛らしいお店

聖マルコ教会

ザグレブ旧市街のシンボル的存在、聖マルコ教会

聖母被昇天大聖堂

聖母被昇天大聖堂。内部も見学しました。

主に旧市街をブラブラして、教会や博物館を見たり、ボバンという有名なサッカー選手のお父さんが経営しているというカフェに行ったり、先述のようにカツレツを食べたりしたくらいですね。それほど観光地っぽい街ではないので1日あれば主なところは見れてしまいます。あと、到着した日が日曜日だったため営業していないお店がたくさんありました。少し注意が必要です。さて、次回はドゥブロヴニク編をお届けします。


私は世界中で天災や戦災が起きた際に少額ですができるだけ寄付をするようにしています。
近年だと東日本大震災や難民問題などに対して各NGOやNPOに寄付しています(多くの団体は特定の災害や地域に対しても寄付ができます)。

その中でも初期の頃から何度か寄付してきたのがオックスファム(oxfam)でした。
オックスファムはイギリスで誕生し、世界中の貧困や格差の是正などに取り組んできた団体で、歴史も実績も多く、非常に知名度の高い団体です。世界中で被災者への救援にも取り組んでいます。
日本でオックスファムに寄付しようとした場合オックスファム・ジャパンという国内団体を通じて寄付することになります。

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オックスファムジャパンのウェブサイトより


先日寄付先を検討していたところ、このオックスファム・ジャパンが解散していることに気づきました。
まだウェブサイトは残っているのですが、2018年の10月1日付で解散のリリースが出されていました。
特定非営利活動法人オックスファム・ジャパン解散のお知らせ

理由としては「ここ数年、経営資源上の問題が悪化したことから、何度か立て直しをはかってまいりましたが、オックスファム国際NGO連合(Confederation)の一員として自立していくことが困難と判断」したとなっています。
つまり日本での活動資金が集まらず解散を決定したということかと思います。

ただ、オックスファムに関しては2018年に致命的な不祥事が発覚しており、そのことが原因なのではないかと個人的には考えています。



不祥事というのは、2011年にハイチ地震への支援活動中に職員による買春行為があり、処分されたもののそれを適切に公表していなかったことや、目撃者を脅迫したり、少女買春があったという疑惑まで報道されました。
オックスファム、ハイチ不祥事の報告書を公表 疑惑職員が証言者を「脅迫」(BBC)
英政府、オックスファムの児童買春スキャンダルで関係見直しも(AFP)

この不祥事は世界中にショックを与えましたし、これで寄付が激減したことは容易に想像できます。現在進行形で国際団体として経営危機にあったとしても不思議ではありません。



当然国内団体であるオックスファム・ジャパンでも職員が辞めてしまったり、寄付が集まらないということが起きたと思います。それをまとめて「経営資源上の問題が悪化」と言っているのではないかな・・。

私も不祥事を知って、当面寄付することはないだろうなと考えていましたが、こうもあっさり国内団体が解散してしまうとそれもまたショックなことではあります。ただ、不祥事の深刻さを考えれば仕方ないことかと思いますので、代わりになる団体を探そうと思います。

JENの不祥事

これは余談でもありますが、オックスファムの件があったので他の団体も探していたのですが、日本国内発祥で国際的に活動するJENという団体があります。活動内容としては災害支援や難民支援です。
今まで寄付したことがなかったのですが、国内の団体にも頑張ってもらえれば…と思って見てみたところ、こちらにも不祥事のアナウンスが…。
JEN職員の不適切な事業執行行為について
こちらは2018年4月付でした。

内容としてはヨルダンの難民キャンプで、インフラ整備や教育事業として受け取った助成金を映画館の建設に利用したこと(目的外使用)や、帳簿の管理が不適切、事務所長の親族の会社と取引を行なっていたこと(内規違反)だということです。

オックスファムの不祥事と比べれば、内容的にもマシだし、内部調査や公表もしっかりしているのでその点は少し安心したのですが、こう立て続けに不祥事がらみの声明を読んでるいると落胆してしまいますね…。

しっかり立ち直ってほしいと思いますし、また支援したくなるよう活動で良い成果を出してもらえたらなと思います。

慈善活動をしている人たちが聖人君子であるとか、絶対に品行方正だと思ったことはないし、不祥事があること自体は仕方ないと思います。どんな企業や団体でも従業員による不祥事などはありますから。 それを繰り返さないようなガバナンスの見直しや支援者への適切な伝達を欠かさないようにしてほしいですね。ということで、また寄付先を探していこうと思います!



オックスファムの件ですが、そのうちウェブサイトも消えてしまうと思いますので、解散の声明をここにコピーしておきます。

特定非営利活動法人オックスファム・ジャパン解散のお知らせ

2018/10/01

 特定非営利活動法人オックスファム・ジャパンは、2003年の設立以来15年にわたり、皆様のご厚情とご協力をいただき本日まで活動して参りましたが、2018年9月28日に解散総会を開催、そこでの承認により、9月30日をもって日本における15年の活動に終止符を打ちました。皆様の暖かいご支援のなかでの苦渋の選択となりましたが、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。

 オックスファム・ジャパンは、2003年にNPO法人として設立し、みなさまのご支援を受けて「貧困のない社会」を目指して、本日まで活動をして参りました。2012年にはオックスファム国際NGO連合(Confederation)の一員(アフィリエイト)になりました。以来、多くの寄付者の皆様、企業、財団、政府のご支援やオックスファム国際NGO連合の協力のもと、様々な活動を行ってまいりました。格差・不平等、ジェンダー・ジャスティスなどのテーマで日本政府や国際機関に対する政策提言やアドボカシー活動、人道支援活動、国際協力プログラム、ショップ活動など、幅広い事業を実施しました。

 2011年3月11日に東北地方を襲った東日本大震災では多くのご支援をいただき、女性支援を中心とした復興支援活動を行ってきました。また2015年からは富士・箱根で行ってきたトレイルウォーカーの活動を福島県に移し、復興支援活動の次の段階として現地との新たな関係を築いて参りました。また社会正義にコミットする若者のネットワークも構築してまいりました。

 しかしながら、ここ数年、経営資源上の問題が悪化したことから、何度か立て直しをはかってまいりましたが、オックスファム国際NGO連合(Confederation)の一員として自立していくことが困難と判断するに至り、今年の3月に理事会として解散の方向性を決定いたしました。

 これまでオックスファム・ジャパンとともに貧困と格差のない社会を目指して共に活動をしてきてくださった支援者の皆様、職員、連携・協力をお願いしてきた団体や個人のみなさまに、心より感謝を申し上げたいと思います。

 解散にあたり、オックスファム・インターナショナルとともにロードマップを作成して参りました。これまで国内外で取組んできた事業については、志を同じくする他団体に引き継いでいただきたいと思っております。

 マンスリーサポーターの皆様からの暖かいご支援は5月末をもって終わりにさせていただきました。またこれまでの皆様からのご寄付は、2016年の熊本地震後、現地でスタートした母子支援活動へのご寄付と、オックスファムが世界で行う人道支援活動に使わせていただきたいと存じます。

 最後に、これまで、オックスファム・ジャパンとともに、貧困、経済搾取、ジェンダー不平等のない公正な社会を目指して、ご協力、ご支援をいただきました支援者の皆様、資金提供者の皆様、連携・協力をしてくださった皆様、そしてNGOの皆様に心より感謝を申し上げます。今後は、世界90カ国以上で活動をするオックスファム国際NGO連合のメンバー団体へのご支援のほうもお願いしたいと思います。オックスファム・ジャパンは解散になりますが、貧困を克服する人々の力を信じ続け、いつかまたオックスファムが日本に戻ってくることを期待しております。

 これまで本当にありがとうございました。

特定非営利活動法人オックスファム・ジャパン